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炭か電熱か、それが問題だ

by S.Goto

 茶道には炭手前と呼ばれるものがある。客の前で釜をおろし、風炉または炉に炭を入れて香を焚き、再び釜をかける。いよいよこれから茶の湯が始まりますよ、という前哨戦のようなものだ。私はこれが苦手である。

 現代では炭を使わずとも火を起こし、湯を沸かすことができるのだし、茶道用の炉も風炉も今は電熱式の便利なものが存在する。若い頃から稽古する頻度が極端に少なかったのは確かなのだが、私自身も進んでやってみたいとは思わなかった。

 炭には大きな欠点が二つある。

 一つ目は言うまでもなく「一酸化炭素中毒の危険性」だ。密閉性の高い現代の住宅の屋内で火をおこすのだから、その危険は常にある。実際、昔の稽古場では炭の稽古をすると「気分が悪い」と言い出す人が必ずいて、あわてて窓を開け、換気をしたものだった。(でも、それは一酸化炭素のせいではなく、少々古びてしまったお香の香りのせいではと私は疑っていたのだけれど)

 もう一つは「着物をダメにする危険性」である。炭は稀にバチっと音をたてて爆ぜることがある。運悪く爆ぜた炭のかけらが着物につくと穴が開く。私自身はそういう目にあったことはないのだが、屋外の野点の呈茶の水屋で炭の番をしていた夫の着物の袖には爆ぜた炭で見事に穴があいた。これは懐が痛む。

 だが、そんな欠点を補ってあまりあるほど炭には、いやより正確に言うなら「茶の湯の炭火」は魅力あるものだと私が知ったのは比較的最近のことだ。茶事ともなれば、炭の上手な亭主は炭と灰で火勢をコントロールし、その日の湯相を思いのままに操り、一会が終わる頃には火も消えていく。まるで魔法使いの魔術を見るようだ

 しかも、炭で沸かした湯で練った濃茶はうまい。同じ水、同じ釜、同じ温度の湯ならばそう変わる筈はないのだが、釜を開けたときにもうもうと湯気が立ち込める様、香の香りの漂う茶室、赤あかと燃える炭火とそこから伝わる熱、そんな中でいただくお茶は格別である。

 もう一つ知ったことがある。茶の湯の炭火はデリケートなもので、失敗すると火が起こらず簡単に消えてしまう。下火がよくおきていないとか、灰が多すぎるとか、灰が足りないとか、何か一つでも条件が欠けると炭手前でいくら炭を入れても火がおきない。

 先ほど炭の欠点に「火事になる危険性」を挙げなかったのは、茶の湯の炭火は点けるのは大変だし、炭が燃えつきると簡単に消えてしまうからだ。部屋の中でカセットコンロを使うより、茶の湯の炭火はよほど安全なのではないかと思う。

 だが、世の中はそうは考えない人の方が多いらしい。ビル内の茶室は最近もれなく火気厳禁である。私が最近稽古場として借りている茶室は炉も風炉も電熱器で、ヤカンをかける湯沸かしもIHヒーター。禁煙はもちろんだが、最近ではお香をたくのも禁止になった。炭火はおろかガスの炎すら見る機会はない。

 先日、初めてこの火気厳禁の茶室で風炉の初炭手前の稽古をした。火がつけられないので炭は稽古用のプラスチック炭、風炉は電熱なので適当なサイズの皿の上に男性用の懐紙を敷き、そこに種火用の炭(もちろんこちらもプラスチック製で赤く塗ってある)を3本入れた。釜をおろした後、先ほどの皿を五徳にのせて火床に見立て、炭斗からプラスチック炭を火箸でつぐという段取りである。もちろん炭斗、香合、灰器、灰匙はちゃんとした炭道具を使う。

 これが案外「手順を覚える」段階の人にはうまくいった。何しろ火がついていないので何度でも繰り返し行える。もちろんそこに本物の炭の感触はないし、火がおきるかどうかという肝心のところを自分の目で確認することはできないけれど、炭手前で亭主が「何をするか」のはおおまかなところは体験できる。

 だが、こんなことまでして炭手前の稽古をする必要はあるのかという根本的な疑問は私の胸の奥底深くに残った。

 最近は炭を焼く人も減ったそうだ。茶道用の炭ともなると、できた炭のうち半分は使えないとも聞く。近い将来、炭はいま以上に贅沢品となり、簡単に入手できなくなることだろう。となると、そもそも炭手前を他人様に教えることに意味はあるのか。湯相を整えるための制御を機械に任せることは現代の技術なら十分可能だろう。稽古の釜を準備するたびに私は自問している。



S.Goto
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