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葉蓋の「葉」問題

by S.Goto

 「葉蓋」という点前がある。裏千家十一代玄々斎が七夕の茶会に際して、末広籠という花入の受け筒を水指に見立て、梶の葉を蓋がわりに使ったのが始まりだと伝わっている。点前の途中で葉を取り、折りたたんで建水に落とす。平建水や曲げの建水など口の大きな建水を使うと、折りたたんだ葉がちょうど舟のように浮かんでいるかのように見える。

 裏千家流の稽古場では夏になると一度は葉蓋の稽古をするところが多いのではないかと思う。茶道具屋では葉蓋用の水指なるものが販売されているのだが、水指は葉がのる大きさのものであれば他の水指で代用できる。あとは蓋になる葉さえあれば良い。今日では梶の葉に限定しないが、毒のある植物や切ったときに汁のでる植物の葉は使ってはいけない。一般的なのは桐、蕗、芋の葉あたりだ。

 そういえば、梶の葉を使った葉蓋の点前というのは一度も見たことがない。間違いなくこれが梶の葉だ、というものにお目にかかったのはたった一度。師匠のお供で東京道場の好日会(茶会)に伺った際、濃茶席で縁高の底に敷いてあった、あの時だけだ。梶の葉の上には冷たく冷えた錦玉が乗っていたっけ。そういえばあれも夏の暑い日だった。亭主の気づかいがどれほどすごいことだったのか、今なら私にもわかる。

 話が横道にそれてしまった。葉蓋に話を戻そう。

 葉蓋の点前は薄茶に限られるので、点前そのものは難しくない。が、いざ教える側になってみると、この点前は相当にやっかいである。だいたい葉蓋にできるような葉をどうやって入手すればよいのか、しかもこの猛暑の中で葉を痛めることなくどうやって稽古場まで持っていくのか。そんなことは誰も教えてくれはしないし、教本にも書いてない。

 立派なお庭と茶室をお持ちの方なら、庭に梶の木を植えて稽古の日の早朝に葉を摘み取って水につけておけば良いのだろう。(裏千家の関連会社である淡交社の茶花カタログには「カジノキの苗木」というのが掲載されていたりする。)が、こちとらそうはいかない。マンション住まいでは庭に木を植えることも叶わないし、早朝に公園や街路樹の木の葉を切り取る不審者にはなりたくない。一度はベランダで里芋を栽培してみようかとも思ったが、それでは取れる葉の数も一枚か二枚だと気づいて諦めた。

 やはり採集するしかないだろう。幸い私の住まいは郊外なので、山や河川敷に生えている木なら何枚か葉を失敬しても大丈夫だろう。私は近所を散歩するたびに、注意深く木々を観察するようになった。

 この地道な作戦は半分くらい成功した。

 家の近くでどうやら梶の木、あるいはその近縁らしき木が何本か見つかった。が、葉蓋に使えるほど大きな葉で手の届く場所にあるものはせいぜい4-5枚。夏になると何枚か葉を集めてもっていくのだが、枚数が少ないので皆さん遠慮して葉蓋の稽古をしてくれない。もっと枚数を集めなければ、と思いながら三年が過ぎた。

 が、念じればいつかは願いが叶う。今年は思わぬところから助っ人が現れた。茶友のOさんが葉蓋用にといって桐の葉を分けてくれたのだ。しかも、採った葉を保存する方法まで教えてくれた。葉を濡れタオルで包み、さらに上から新聞紙でくるんで冷蔵庫に入れておけば一週間くらいは大丈夫だという。

 たしかに葉はナマもの。青菜を保存する要領で野菜室に入れておけばいい。そうだよ、21世紀なんだから何も早朝から採りにいかなくてもいい。冷蔵庫を使えばいいんだよ。目から鱗とはこのことである。

 五日後の稽古でも、葉はまだピンピンしていた。前日に私が河原の土手で採集した蕗の葉もよく洗って一緒に冷蔵庫に入れておいたのだがこちらも元気だった。今年はこの日1日で10名が葉蓋の稽古をした。稽古が終わった後も、まだ数枚の葉が残っているほどだった。

 葉蓋の葉は亭主が自身の才覚で見つけてこない限り手に入らないものだ。この事実は重い。葉蓋の葉が茶席に存在するとき、そこには必ず物語がある。いつか誰かが私を葉蓋の席に招いてくれることがあったら、私は最大級の賛辞で亭主を褒め称えるだろう。



S.Goto
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