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香付花月の香銘

by S.Goto

 「後藤さん、次のゼミで季節の香銘が三種類出ると思うからしっかり聞いてきてみんなにメールしてね」と友人から言われた。はじめは何のことかと思っていたら月末にやる香付花月之式(こうつきかげつのしき)で使うお香のことだった。

 花月之式は五人ひと組で行う稽古の形式の一つである。江戸時代に表千家七代の如心斎天然とその弟で裏千家八代の又玄斎一燈が計って七事式という七種類の稽古を考案した。花月之式はそのうちの一つだが、裏千家ではその後様々なバリエーションを加えている。平花月に始まり濃茶付花月、貴人清次花月、貴人清次濃茶付花月、茶箱付花月、茶通箱付花月、軸荘付花月、壺荘付花月、香付花月、四畳半花月、結び帛紗花月などなど。

 ふだんの稽古だけではこれだけの種類はとてもじゃないが覚えきれないので、私は時折友人たちと集まっては花月の自主トレをしている。おかげで随分いろいろな花月を経験できたが、たしか香付花月はまだ一度もやっていなかった気がする……そういえば、先日「次回のゼミの科目が香付花月なので、一度みんなでやりませんか?」と言ったのはほからなぬこの私自身ではないか。でも、香銘をわざわざ聞いてこいとはどういうわけだろう?

 香付花月で使う香は香木、すなわち香木である。これを聞香炉に入れて温め、その香を聞く。現代の茶道の点前では香炉は使わずに、炭点前の時に風炉に香木を入れてしまうので、茶道で聞香の所作を学ぶ機会は七事式の稽古に限られている。そんなわけで私の香に関する知識は乏しい。

 その乏しい知識なりに考えてみると「香銘」というのはどうやら沈香や白檀といった香木の種類とは別に付けられる名前であるらしい。わからないときはまず教本に当たってみるに限る。「香付花月之式」のページを紐解くと、白い香包みに「松蔭」「叢雲」「浮舟」と書かれた写真が出ていた。

 ううむ。

 「浮舟」はたしか源氏物語五十四帖の一つにあったはずだ。香銘の出典は古典だろうか。「叢雲」といえばアメノムラクモの剣というのが古事記に出て来るのではなかったか。ヤマタノオロチの尾から素戔嗚尊が取り出したと言われるアレだ。「松蔭」の名で思いつくのは吉田松陰くらいだが、もしかすると何か有名な和歌でもあるのかもしれない。

 古典で歌といったら「万葉集」でも「古今和歌集」でもなく「和漢朗詠集」だと以前、高校で国語教師をしていた知人が言っていた。和歌はもちろん漢詩も含めて当時の人々の教養として知っていなければならないものが集められているのだそうだ。さっそく調べてみると「夏」の項にこんな歌があった。

 

 松かげの岩井の水をむずびつつ夏なきとしとおもひけるかな 恵慶

 何となく香銘というもののイメージは掴めてきたが、香付花月をするにあたってはこのような香銘を三つも、しかも季節にちなんだものを準備しておく必要があるのだとするとこれはなかなか手強そうだ。しかも香付花月ではこの香銘をネタにそれぞれが歌(短歌、俳句)を詠んで奉書紙に毛筆で書かなければならない。みやびやかな趣向ではあると思うが、自分でやるとなるともはや絶望的なハードルの高さである。

 さて、ゼミの当日。私は亭主役の方に「今日のお香のご銘は何ですか」と伺ってみた。見せてもらった香包には「おもかげ」「氷室」「緑蔭」という文字が書かれていた。

 えっ?

 すぐには出典のわからない銘を用意するなんてことがあるだろうか?私なら今の季節を考えたら一つは間違いなく「空蝉」にするだろう。何なら「野分」でもいい。(どちらも源氏物語五十四帖のうちの一つだ。)いったい全体これらはどこから出てきた名前だろう。

 しばらく考えてふと思いあたった。ご亭主の用意した香銘は俳句の季語じゃないだろうか?たしかに季語なら歌を作るときに山ほど俳句のサンプルが見つかる。ググるのは現代茶人の常。ありえない話ではない。

 水屋には以前香付花月をした時に使ったと思われる香包もいくつかおいてあった。「春霞」「岩清水」「清流」……これではまるっきり茶杓の銘だ。でも、みんな考えることは同じ。「歌を作りやすい名前」を考えてそこから香銘を付けているのに違いない。

 この日ご指導くださった某先生はこのグループの歌のお題となった「おもかげ」という銘を聞くと「ふふんっ!」と鼻で笑って「皆どうせ準備してきたんだろう」と言った。この「ふふんっ!」は果たして彼女たちが選んだ香銘が適切でないという意味なのか、それとも本来即興で作るべき歌をあらかじめ用意してきたことに対する非難なのかあるいはその両方なのか。私には判断がつかなかった。

 結局、香付花月の香銘とはいかにあるべきかという疑問は私の心のうちに疑問のまま残った。まぁ最初はそういうものだ。確信が得られるまでには何度もトライアンドエラーを繰り返すというのが、茶道の学び方の常道なのだから。

 友人たちには季節の香銘としてこの日の亭主が考えてきた三つの言葉をそのままメールすることにした。古典にちなむ銘であろうと季語であろうと心得のない者にとってはどっちにしても歌を作るのは困難なのだから。

 お香を聞いてその香りを楽しみ、茶を喫し、歌を詠む。古の人々はそれを楽しむことができたのだろうか。昭和生まれの平民である私にはその境地を味わうには程遠い。

宗旦の名をいただきし白木槿我に伝えし君のおもかげ

風はなし人声もなくひたすらに墨をするなり緑陰の席

氷室なる暗き洞の奥深く眠りし氷今眼覚めんとす

 

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